とてもとてもお久しぶりです!
act photographyの田勢です。
毎度ブログを更新するたびにお久しぶりと言っている気がするので
こんにちはこんばんはくらいの書き出しでできたら....
この夏、私たちは栃木県那須にて第3回となる写真展を行いました。
明日31日が最終日となります。
昨年は5周年記念ということもあり「愛情の再確認」というテーマで
過去のお客様を優先的にご招待し、プロジェクター投影した
過去と今を残す撮影会や展示を行いました。
開催までの経緯
年明けからミーティングを重ね
今年の写真展のテーマを決めるにあたり
幹となった言葉があります
【メメント・モリ】
「自分が(いつか)必ず死ぬことを忘れるな」
「死を想え」という意味を持つラテン語の言葉で
「自分がいつか必ず死ぬことを忘れるな」
「人に訪れる死を忘ることなかれ」という意
現代においてメメント・モリは
「避けることのできない死という未来があるからこそ
今この瞬間を大切に生きることができる」
という意味で捉えられているそう。
当初は「生と死」は壮大すぎるテーマに感じましたが
結婚式から始まる家族のかたちに
年を重ねて写真で寄り添っていく中で
当初の目的は別でも結果として
「あの時、写真を残しておいてよかった」
と言われることが増えてきました
また、メンバーそれぞれ
身近な人の死と向き合う経験があり
写真ののこし方を見直すきっかけになりました。
結婚式を撮影していると不思議な事に
「遺影にするから撮ってほしい」
と冗談まじりにお願いされることがあります。
さて、遺影写真とは意識せねば遺さぬものなのでしょうか。
否、私たちが撮っている写真は全て言い換えれば遺影写真でもあるのだと気づきました。
撮影:ほのか
死を意識することで 今を大切に生きることができる
「遺影写真」はある年齢になるまで残してはいけないのでしょうか。
死について話すのは「縁起でもない」のでしょうか。
結婚式で友人が撮ってくれた一枚も家族がスマートフォンで撮ってくれた一枚も
全て生きた証で「遺影」とよべると考えます。
その一枚の写真からは、写っていること以上のことが思い出され
被写体に思い入れがあればあるほど写真は愛を増殖させるツールになるのです。
「明日死ぬかもしれないから」
なんてまで気負う必要はないかと思いますが、死を意識することは自身と向き合うこと、
今の自分の人生や関わる人をより大切にすることに繋がるのではないでしょうか。
死ではなくても人生には思わぬ形の別れがたくさん訪れます
引越し転勤や予期せぬ災害、子どもの成長もある意味別れです。
今
はじまりの時なら
おわりの時なら
節目の時なら
記念の時なら
人生謳歌しているなら
辛い時なら
迷っているなら
闘っているなら
生きた証を刻み、写真に遺す大切さを私たちは伝えたいのです。
あなたが人生の最後を迎え
第三者が選びきれないほどのあなたの写真を前にした時
きっと素晴らしい人生だったんだろうなと
嬉しさや誇らしさが溢れてくるのではないでしょうか。
私たちの写真に触れることが
自分達は今後の人生、どんな写真を誰と遺したいのか
少しでも考えるきっかけになって頂けたらという思いで開催いたしました。
「遺影」とは「かげ」を「のこす」と読みます。
写真は撮らねば遺らないのです。
最後まで読んでくださりありがとうございました。
明日の最終日、可能な方はぜひ那須まで足をお運びください。
たせ
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